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島の小さな店

毎日、小さな広場に面した小さな商店に入る。田舎によくある古ぼけた店。
初めて入ったときは、品揃えに期待はできないと思いつつ戸を開けた。ところが店の中には驚くほどの商品が連なっていた。
野菜や肉、魚、冷凍食品、漬物、パン、ジャム、駄菓子にチョコレート、アイスクリーム、鍋、タッパー、たわし、蚊取り線香、帽子、サンダル、ノート、鉛筆、ボールペン、筆ペン、タオル、手ぬぐい。生活のために必要なものがほとんどあった。コンビニにおいてないものもずいぶんある。
いったいいつからおいてあるものなのか?と不思議に思うものもずいぶんある。流通のシステムがコントロールされたコンビニではありえない商品と時間の錯乱。

初めて店に入ったとき、おばちゃんが「どこから来たの?」と聞いてきたので、3月まで住んでいた首都圏の地名を答えた。
「あら、まぁすいぶん遠くから」
「おばちゃんは島で生まれた人ですか?」
「島生まれの島育ち。井の中の蛙」と笑いながら話すおばちゃんには品がある。つつましさと謙虚さ。おくゆかしさ。ひたすら主張しようとするアートが島の人から学ぶべき審美的態度はこういうところにあるはずだ。なのに芸術祭はいつまでたっても騒がしくて、僕は何も言いたくなくなってしまいそう。
ともかく小さな店の話を。島の人が必要とするものを仕入れて、店におく。自給自足の島でも、人はたくさんの種類の商品を購入する。専門店ではないから、同一商品を大量に仕入れて安く販売するというようなことはできない。「田舎の店じゃからのー。なんでも売らないといけんからのー。」
とおばちゃんは言っていた。
なんでもおいているその品揃えには一見、店主のこだわりのようなものはないように見える。島の人が必要としているものと、かつて必要とされていたのに状況が変わっていつまでも売れ残っているものが混在し、積み上げられた店からは、店の個性よりも地域の状況が見える。しかし、そのような店を毎日開け続ける人の姿勢に強く確かな意志と個性があるのだと思う。

そういえば、僕の先生がかつて「島は歩けば歩くほど広くなる」ということを書いていた。当時の僕は、それを歩けば歩いただけ発見があるというふうに解釈し、今年の4月から5月にかけて僕は毎日それを実感した。最近は忙しくて島を歩き回る時間がなくなったけど、家の近くにある便利屋は小さいのに見れば見るほどおもしろいものが見つかる。まるで島そのもののようだ。狭いのに見れば見るほど広くなる。
何を買おうかと迷っていると、おばちゃんが「田舎の店じゃからのー。お気にめすものがありますかのー」と話しかけてくれる。東京のどんな個性的なお店よりも、どれだけ品揃えが豊富な店よりも、豊島にある雑多な品揃えの便利屋の方が好きになってしまった。でも、たぶんその小さな店と島の人との関係は好きとか嫌いを超えたところにあるのだと思う。なんとなくだけど。もちろん僕がその領域に立ち入ることはできない。でも僕は島の小さな店が好きだ。
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