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「島と本、本と島」(1)

8月7日(土)と8日(日)、サウダージ・ブックスの淺野卓夫さんを藤島八十郎の家に招き、ワークショップを行ってもらった。題して「島と本、本と島」。本のワークショップだけど、普通の意味での読書は行わずに、本をもって島を歩き、島と本について考え、そして本を作った。

8月7日。藤島八十郎の家で集合。まず淺野さんが用意した本と八十郎の本の中から、どれでもいいから1冊選んでもらい、それをかばんの中に入れて、スダジイの森に向かって出発。参加者2人とこえび隊2人、それに淺野さんと僕の計6人の小さな旅。自己紹介したり、いろいろ話をしながら坂道を歩いているといつの間にかずいぶん高いところに。進行方向の左手には瀬戸内海。とても眺めがいい。
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40分ほどでスダジイの森に到着。ここは豊島でもっともいい場所のひとつ。だけど、大勢で行くところではない。6人というのはちょうどいい人数だったかも。木々の間から落ちる光が風でわずかに揺らぐ。
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しばらく木々の間に佇んでから、森を抜けて小さな草原に出た。かばんから本をとり出して地面に広げる。みんなが各自選んだ1冊と、淺野さんが選んだ数冊の本。ヘンリー・デヴィッド・ソロー、ル・クレジオ、ギャレット・ホンゴー。そのまわりを囲んで座る。
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淺野さんが自身の活動と本について、話してくれた。ブックサロンの運営と編集や出版の活動を行っている淺野さんは、「本が好きなんですね?」という質問が一番困ると言う。
大学院まで進み文化人類学や民俗学という学問を学んだ淺野さんが、本から得たものは大きい。けれども、ブラジルに3年間滞在し、日系移民の調査をした体験は、彼の世界認識に強烈なねじれを生んだ。

それはブラジルに日本から最初の移民が渡ってから、ほぼ1世紀が経とうとしていたころだった。日本語とポルトガル語の単語が混成するコロニア語で語る古老たちは、ひとり、またひとりと亡くなっていった。彼らの語りから、貧しく本のない生活の中にも、生きる智慧と哲学があることを知った。
ある牛飼いとの出会いを経て、その仕事を手伝うようになった。干草の重さ、赤い土、老人たちの節くれだった手、そうしたすべてが確かな手ごたえをもっていた。そのままパスポートも捨てて、本のない世界の生活に突入しようと本気で考えた。でも、そうしなかった。本が彼を育て、鍛えたこともまぎれもない事実だからだ。
本のある世界と本のない世界。それは、全然別の世界のようにも思える。ともかく淺野さんは学問の世界からはドロップアウトし、日本に帰ってから本のない世界をつなぎとめるように本をつくった。本のある世界で、本のない世界を考えた。
もちろん、これは僕の翻訳ともいうべき文章。単純な間違いや注意不足による誤解があるかもしれない。ともかく淺野さんにとって本は、好きとか嫌いの基準で判断するものではなくなった。
続いて、広げた本の話に移っていく。(島ではないけれど)街から離れて自然の中で実験的な生活を試みたソローについて。あるいはル・クレジオ、高良勉、ゲイリー・スナイダー。僕にもうれしい名前が並ぶ。そしてギャレット・ホンゴー。文学のための文学からもっとも遠い人たち。人生の一回性を深く認識した世界記述者。ル・クレジオの名前に「石垣」という意味があるのを教えてもらい喜んでしまう。そして、もちろん島について。奄美や沖縄などの島をたびたび訪れ、島の詩人の本を出版してきた淺野さんだからこそできる話だった。
でも、もっともおもしろかったのは、本を読まずに、各自がもってきた本をパラパラとめくったこと。山の中腹の小さな草原で、本を風にさらした。本はカビや虫に弱い。僕らがやったことは、本をかばんの中に入れて持ち歩き、空気のきれいな場所で湿気を逃がしただけだ。本とのつきあい方は読むだけではない。
帰る前にスダジイの森をもう一度体験。森の中で1分間の瞑想。セミがよく鳴いている。風が木々の間を抜け、葉が擦れる。体の感覚が開いていくような感じ。
八十郎の家に戻ってから少し休憩して、小さな本作り。こえび隊も準備を手伝いつつ、一緒に参加。
A3サイズのコピー用紙の長い辺を半分に折る。これをもう2回繰り返すと文庫と同じサイズになる。通常、本はページのサイズの紙を束ねているのではなく、大きな紙を折ったものがベースになってできている。16ページ(あるいは8ページ)が基本単位で、その倍数のページ数で本ができているなど、本の基本的な仕組みを淺野さんが教えてくれる。この仕組みがわかると、手軽に本ができるのだ。
折った紙を広げて、淺野さんが見せてくれる見本をもとに数字を記入していく。一見バラバラに見えるこれらの数字が、折って閉じたときには順番通りに並んでページを示すノンブルとなる。
折った紙の背中の部分をホチキスでとめてから、袋状になっている部分をカッターナイフで切ると16ページの小さな本の原型ができた。
ここで先ほど持ち歩いた既成の本を各自とり出す。表紙にタイトルと著者を書き移す。それから既成本の(テキスト部分の)最初のページを、書き移していく。改ページのリズムは句読点が目安になる。手製本の15ページまで書いたら、16ページにはフロッタージュを施す。葉っぱや石など、なにか素材を選んで、14ページと15ページの間に挟む。16ページを色鉛筆でこすっていくと像が浮かび上がってくる。
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ほんの30分ほどで小さな本ができあがった。本の構造を体験しながら学んで、みんなも充実した表情。ちなみに僕は島尾伸三の『ひかりの引き出し』の小さな手製本をつくった。まさか、島尾伸三の文章を書き移すことになるとは!かなり疲れました。
書店に流通する商品としての本もいいけど、こういう手づくりの本もある。思い立ったときにザザッと手を動かしてつくれる本の魅力は、身近にある自然の中を歩いたり、畑の野菜をとって料理するのに近い。軽快な足並み、ワイルドなつくり。商品化と流通に専心した芸術が失ったソウルが、この小さな本にはある。

ちょっと疲れたけど、たのしいワークショップでした。参加者やこえび隊のみなさま、おつかれさまでした。これから、何か大切な出来事があったら、それを文章にして小さな1冊だけの本をつくるのもいいかもしれませんよ。淺野さん、どうもありがとう。これを機に本について僕ももう一度考えてみたいと思います。八十郎の絵本も、野生の力が宿るものにしたいです。