星と水の中 水中考古学の一日

9月28日に日比野克彦さんのプロジェクト瀬戸内海底探査船美術館「一昨日丸」のキックオフイベントが行われ、僕もヤジウマとして見てきた。
まず唐櫃公堂で二人の水中考古学者のお話。もちろん司会は日比野克彦さん。水中考古学とは考古学の一分野で、文字通り水中をフィールドとした考古学。吉崎伸さん(京都市埋蔵文化財研究所/水中考古学研究所)と野上建紀さん(有田町歴史民俗資料館/アジア水中考古学研究所)がそれぞれの研究活動を事例として、水中考古学という学問で行われている研究内容をわかりやすく説明してくれた。
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でも、僕にとっておもしろかったのは、アーティストの日比野さんがなぜ水中考古学に興味をもったのか。日比野さんの熱のある話し方がカッコイイ。夜空にうかぶ星は、とてつもなく遠くにあるけれど、どれだけ遠くても見えるから「ある」ことになっている。でも、水面の下は5メートルか10メートルの距離でも見えない。見えないから認識できない。何かあるかもしれないのに、ないことになってしまう。そして、水中にもぐり、まだ見てもいない何かを探す人たちがいる。水中考古学という学問に、絵を描くモチベーションと似た何かを日比野さんは感じたようだ。
僕は、洞窟探検に夢中になっている小山田徹さん思い出した。洞窟はある。でも、だれも入ったことがない洞窟は認識できない。どうなっているかもわからない。その洞窟に入り、少しずつ場所を把握して測量していく行為は、水中にもぐって歴史の記憶を探すのとどこか似ている。それは世界を認識する方法だ。そして人が絵を描くのは、世界の認識とその認識を誰かに受け渡していくことと関わってくる。
水中考古学の説明の後、豊島の漁師さんが海で引き上げたものを吉崎さんと野上さんが鑑定するという、鑑定団的企画が行われた。4点ある中で先生たちが興味を示したのは壷ではなく、陶製の地雷と高射砲の弾だった。戦争中に金属が不足したため陶器で地雷が作られたそうだ。爆発する陶器が作られていたのもおもしろいし、それが水中に沈んでいるのもスゴイ。

公堂のお話が終わってから昼食の時間をはさんで島キッチンでワークショップ。島キッチンの屋根を水面に見立てて、紙粘土で海の底に沈むものをイメージして紙粘土で作るというもの。一緒に行った橋村さんたちもたのしんでいた。

ワークショップの後は八十郎の家に移動してみんなでがやがやと話す予定だったのだが、ワークショップの終了が遅くなったので、そのままみんなで海辺にバーベキューをしに行くことに。ボルタンスキーの作品の近くの砂浜にみんなで移動。吉崎さんと野上さんはさっと地形を見渡すと、すたすたと歩き出してあっという間に海岸から陶器の破片を拾ってきた。16世紀(?)ぐらいのものだとか?先生たちは海に来ると、反射的に地形を観察して「船が遭難しやすい場所はここだ」と目星をつけるのが癖になっているようだ。うーむ、すごい。このあたり、アスリート的なアーティスト日比野さんも大いに興奮していて、なかなか刺激的な夜でだった。
途中から、和光大学の長尾洋子先生たちが合流。長尾先生は管啓次郎先生の友人。明治大学大学院で管先生と僕たち学生で実施した『WALKING 歩き、読み、考える展』の関連イベントで、和光大学のある鶴川駅から明大生田校舎まで一緒に歩いたのもなつかしい思い出。そういえば、小山田さんの洞窟測量ワークショップにも長尾先生は参加してくれて、とてもたのしんでいた。
しかも長尾先生と一緒に細川周平さんが来た!8月に八十郎の家で本のワークショップをしてくれた淺野卓夫さんがブラジルに3年ほど滞在していたのは以前にも書いたけど、細川さんは淺野さんの前にブラジルに滞在し、同じく日系人の生活や文化を調査研究した人。名著『シネマ屋ブラジルを行く-日系移民の郷愁とアイデンティティ』には、僕も大きな影響を受けている。キューバのフベントゥ島で管先生の本と細川さんの『シネマ屋-』がいつも頭の中に鳴り響いていた。
僕の中でいろんなものが結びついた一日だった。星、海の底、島、洞窟、地球の反対側の大陸で生きたニッポンの人の生活。結局、それは世界の断片でしかない。通常の意味でアートとよばれるものではない。でも、そのような世界の断片から想像する可能性を拡げることだけがアートの価値だといってもいい。日比野さんがしきりに言っていた、「人類ではじめて絵を描いた人がいるはずで…」という絵画の起源を想像することや、もっと個人的に今ここで絵を描きはじめる場合の動機とも重なってくる。人はなぜ絵を描くのか?そして、どこから来てどこへ行くのか?
でも、一番よかったのは海水で味つけをした肉を焼いている日比野さんの姿だったかも。みなさん、おつかれさまでした!
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