セーターちくちく(その1)

藤崎盛清さんの父、藤崎盛一さんは豊島で農民福音学校を運営していた。
農業の効率化が進み、単一作物の大量生産が奨励されていた時代に、牛や鶏などの家畜を飼い、様々な作物を育てて、土地の恵みをどのように利用するかを考え、実践していた。
学んでいた人たちの経緯も、ごく普通の高校生が進路として大学進学を選択するよう形とは違っていたようだ。家業が農家の若者が、これから自分たちがどのように生業と生活を改善していけるだろうかと模索するために農民福音学校の門を叩いていたようだ。共同生活をしながら、田畑で働き、講義を受講していたそのスタイルは、現代の視点から見ると、近代化によって分断された労働と学びをもう一度接続する試みといえるだろう。

農民福音学校の活動は興味深いが、ここでは長くは書かない。今回は別の話。
ともかく、そんな学校を運営していた藤崎盛一さんの息子、盛清さんに僕はめちゃくちゃお世話になった。藤崎盛清さんがいなかったら、藤島八十郎をつくる活動は全然別の形になっていたはずだ。
昔の藤崎家の暮らしぶりや農民福音学校のことを訊くのはたのしかった。盛清さんが幼いころ、農民福音学校では牛や鶏の他に羊も飼っていた。羊毛を刈り、脱脂し、毛糸を紡いで、手づくりのセーターをつくっていた。幼い盛清さんにも手づくりのセーターがあてがわれた。ところが、ごわごわしたセーターは着ると肌がちくちくして痛い。幼い盛清さんはセーターを着るのを嫌がり泣き騒ぎ、盛一さんに怒られた。もっとも盛清さん自身にこうしたできごとの記憶はない。それくらい幼いころのことだった。親や姉たちから聞いたそんなことがあったことを教えられたそうだ。それでもこの話には真実味がある。盛清さんは今でもセーターが嫌いで、セーターをもっていないのだ。
この「セーターちくちく」のエピソードは、僕の頭からずっと離れなかった。
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