カテゴリ:八十郎の絵本のためのテキスト( 4 )

豊島は石の島だ。もちろんそれは豊島を形容する数ある文言のひとつでしかない。しかし、現在人口約1000人の豊島にかつては3000人ほどの人が生活していた。そして、そのうち約1000人(つまり今の島の人口と同じくらいの人数)が石工の仕事をしていたという。豊島に初めて訪れたとき、港から乗った車の中でKさんがそう説明してくれた。なるほど、確かに豊島は石の島だ。一緒に来た藤さんは何度目かの来島だが、初めての僕はやはり心が躍った。島のいたるところに石の仕事がある。数日もすると、地蔵がやたらに多いことに気がつくのだが、なんといってもすぐに目についたのは石垣だ。山頂を中心とした円を描くように走る主道と、そこから枝のように伸びる路地のいずれにも、いたるところに石垣が見られる。
壇山を登れば、豊島も桜島と同じで島に山があるのではなく、山が島であることがわかる。上空から見た島の領域は山と水の水位の関係によって描かれる仮のアウトラインでしかない。島と海を隔てる線分は確かに存在するけれど、それはいつも揺らめいている。島は、島である前にまず山なのだ。
そして、それが石の山であることも深く納得する。大きな岩、石の塊としての島がある。人を超える大きさの岩を人が扱う大きさに変える。島を砕いて石にする。石は島のカケラだ。それを連ねて石垣を造る。島だったものが人の手によって砕かれカケラとなり、やはり人によって構成されて石垣として再び島の一部になる。
むき出しの岩、大きな石を見る。動物や植物とは決定的に異なる硬さと不動。石の島で土と水、植物、動物がそれぞれの時間を動き、島をしてきた。ヒトの活動もそれらの動きの連なりの延長にある。
ともかく豊島生活の初日から石はやたらに目についた。唐櫃の岡を案内してもらった後、島の南側の集落、甲生に移動した。甲生で芸術祭が借りた家で、豊島に何度も訪れて島をもっともよく学んだアーティストの一人、青木野枝さんに会った。それから藤さんや案内してくれたKさん、青木野枝さんたちは高松に移動してしまい、僕は一人でその家に泊まることになった。石の島での生活が始まった。
すぐ近くの海辺まで散歩すると水面に光が反射していた。石が積み上げて造られた堤防を波が洗っていた。
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八十郎の留守中に芸術祭が始まった。留守番していた僕は、たくさんの人が「いい眺めですね」とつぶやくのを聞いた。実際、台所からだけではなく部屋の窓からの眺望も素晴らしい。八十郎の家から下る坂道のはるか向こうに海が見える。他の島や岡山も見える瀬戸内海らしい景色。
だが、そんな眺めのいい家は島に他にもある。例えば、八十郎の家をつくるのを手伝ってくれた藤崎盛清さんの家も、海側を眺めると驚くほど見晴らしがいい。そして、そのすぐ近くにある盛清さんの父親、盛一さんが建てた家も。
藤崎盛一さんは農民福音学校というキリスト教の精神を基盤とした農村の生活技術を学ぶ学校を運営していた。はじめは東京の世田谷で開校していたのだが、田園地帯だったのが住宅が増え始め徐々に郊外化していくのを見て、適切な場所を探して豊島に移動してきた。自宅が学校だった。一緒に寝泊りし、生活がまるごと学習の場であり時間だったようだ。
藤崎盛一さんが豊島で自宅を建てるときに選んだ場所は、豊島に台風が通ると一番風が強く当たる場所だった。集落の中心地からも離れているし、決して便利な場所ではなかった。島の人はあんな場所になぜ、と思ったことだろう。だが、眺めは最高だ。藤崎さんによると盛一さんは「台風なんか来たとしても年に2、3回でしょう。それを我慢すればいいんだから、毎日いい眺めを見れたほうがいい」と言っていたそうだ。毎日の生活を重ねていく上で何に価値をおくかで人がわかる。藤崎盛一さんは、家からの眺めと同じくらい素敵な人だったに違いない。その価値観を藤崎盛清さんも受け継いでいる。
八十郎みたいなおっちょこちょいなやつ以外にも、眺めがいいという理由で場所を選ぶ人はいたわけだ。
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八十郎は眺めのいい場所が好きだった。だから、八十郎を訪ねるときも、どこに家があるのか知らなかったけれど、窓からの眺めが綺麗に違いないとは思っていた。
島だから海の近くを想像していた。ところが波止場で網を修繕していた初老の男に八十郎のことを訪ねると「ああ、あの変わった風来坊だな。あいつの家は岡。唐櫃の岡。でもあんまり家におらんらしいよ」と言っていた。丘の中腹に八十郎の家があるらしい。港からゆるやかな坂をそれなりの時間をかけて歩くと、田畑と家が並ぶ集落にたどり着く。その道端から見る海はすばらしい。視界が左右に広い。そうか、こんなところに家を見つけたのかと納得した。
路地をうろうろ訪ね歩くと、それほど時間もかからず集落の中心部からほんの少しだけ山側に八十郎の家を見つけることができた。八十郎の名前を呼んでも返事はない。不在のようだ。玄関を勝手に開けて中に入ると台所がある。靴を脱いで上がると天井が低いのに閉口した。だが、右側の流しのすぐ奥にある窓からは、遠くではあるがはっきりと美しい海が見えた。僕は納得した。天井が低いので、この景色を愉しむためにはずいぶんかがむ必要がある。だが、とにかく八十郎は眺めのいい場所に家を見つけたわけだ。
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島に空き家があった
主が不在の家に人は訪れない
人は家を訪ねるのではないから
人が家を訪れるのは、そこに住む人に会うためだから
その家に主がいなくなってから30年が経っていた
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人の不在が少しずつ家を家とは違うものに変えていこうとしていた
30年間の人の不在が家を少しずつ壊していった
川の流れが土を削り石を運ぶように、ゆっくりと
風が瓦を動かした
雨水が瓦と瓦の隙間から浸入し、床に落下した
水分をたくわえた畳は直線と緊張を失った
畳はそもそもの存在に、すなわちただの草に戻りたがっていた
垂直を保とうと役割を果たす柱と重厚な家具が、
畳に畳であるように促した
外壁の薄い波板は緩やかに酸化した
風が錆びた波板をところどころ吹き飛ばし、
土壁をむき出しにした
土壁も攻撃され、ただの土に帰ろうとしていた。
時間が家をそれぞれのマテリアルに帰そうとしていた

それでも家は誰かがそこに住んでいたことを記憶していた
埃がかぶった食器、黴臭い浴槽、ひしゃげた窓枠、たんすに詰め込まれた服
納屋には農具が積み重なっている
けれどもそこには誰も訪れなかった
なぜなら誰もいないのがわかっていたから

空き家に30年ぶりに人が住むことになった
家が30年ぶりに出会った人の名は藤島八十郎という変な名前だった
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