<   2010年 06月 ( 8 )   > この月の画像一覧

いくつになっても子どもの心を失わない人がいる。
雪が降る北の港街から、瀬戸内海の島に嫁いてきた。
どんな場所かもよく知らずに、強い好奇心で「どんなところなんだろう」と思い、大家族の農家の一員になった。知らないところに飛び込み、島の生活を体ごと体験した。今もしている。

家事と子育てに夢中だったから、30年以上住んでいる島でも歩いていない場所はずいぶんある。
そして今、島の岡にある長いこと空き家だった納屋を訪れ、はしごに登り瀬戸内海を見下ろしている。「わぁ、すごい!」と少女のように喜び、パノラマの景色にいつまでも見入っている。
ようやく梯子から降りてきたその人は、見たばかりの島の眺めのすばらしさを目を大きくして話してくれる。その表情が、僕の心を豊かにしてくれる。大きな目は好奇心の大きさ。
「こんなに長く住んでいるのに、なんにも知らないのよ」と恥ずかしそうに笑う。
その笑顔はとてつもなく気前のいい、無条件に幸福な贈り物。僕もいっしょに笑う。
後になってからその幸せをそれほど多くの人と共有できていないことに気がついてなんだか悲しくなり、それからまたあの大きな目の笑顔を思い出し、笑ってしまう。

島から見る世界はとても美しい。

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八十郎はどこから来たのか?
いつから豊島に棲み始めたのか?
藤さんも僕も「八十郎、八十郎」と言うけれど、八十郎のことをほとんど何も知らない。
八十郎は何歳なのか。年齢不詳の表情と、はにかむように無言の笑みが質問を躊躇させる。
どこから来たのかもわからない。

知っていることはごくわずか。
絵本作家になりたくてものがたりを探している。
ものがたりを考えたいけど、ちっとも話を思いつかず、途中までできた話をしどろもどろになって話す。お話をしに行ったはずなのにうまく話ができなくて、島の人にいろんな話を教えてもらい感心して家に帰る。

鳥が好きで、鳥の絵を描こうとしている。
いつも海を眺めている。
海が好きだし、ここではないどこかのお話を考えるのには海を眺めるのが一番だからだ。

豊島の海からはたくさんの島が見える。
海辺で「あの島はなんという島ですか?」と人に尋ねて島の名を教えてもらうのだが、何度聞いても覚えられない。

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今日の作業の休憩中のテントの光。木々の影がテントに映りこみ、思わず見とれてしまう美しさ。
島は光がいい。島をかこむ海が鏡のように光を乱反射するのに比較して、島には陽光がそのまま差し込むように落ちてくる。島はまるでレンズのように光を集める。島は島そのものを誇ることよりも、世界をより美しく見せることに貢献している。島のおかげで知覚できる世界のあり方。
映像が、ここではないどこかの景色、光の染みだとしたら、島は存在そのものが映像的だ。常に海によって隔てられ、人に対岸を意識させ、孤独であるがゆえに隔たる土地と呼応し、絶対に島の内部にとどまらない可能性をかかえている。今ここにはない可能性をもっているのが島だ。
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月に一度、21日のお大師さんの前の日曜日に湧き水のまわりを島の女性たちが掃除をする。
ゴミを拾い、枯葉を箒で集める。
おだやかなリズムで体が動く。
石に囲まれた場所があらたまった姿を見せる。
その間も鉱物のような輝きをもつ水は決してとまることなく動き続ける。

女たちは働き者であると同時に、語り手だ。
つれあいの素行、島を離れて暮らす子どもたち。
農作物の出来と季節の表情。
島のうわさをひとしきり。
おだやかな言の葉が水のまわりをかけめぐり、小さな笑いが炸裂する。
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言語は認識の道具。ヒトの世界を認識は言語によって行われる。地名は世界の認識のあり方。
瀬戸内海の女木島と男木島という対の地名が、土地の孤独とつながりを示している。連鎖する関係によって土地が成立していることを示している。ひとつの島の1という個が、すべてをつなぐ海によって連結し、数え切れないほどの複数に連なる。自分の立つ土地とは別の土地を常に見ながら暮らす人たちがいる。
そして豊島は字義通りの豊かな島。山があり、森がある。島には珍しく水があふれる。鳥が舞う島。豊かな島に学ぶことはいくらでもある。だけれども人の一生には常に限定性、一回性がつきまとう。だからこそ、別の誰かに学ぶことは限りがない。旅人と移り住む人は島の人に学ぶべきだ。島の地水火風の恵みを体ごと受け取り、よりよく活かす人たちの存在が島の呼吸をつくっている。契約書による所有とは違う、土地を自分のものにしていくのは体験が約束する。歩けば歩くだけ土地は自分に近づいてくる。知れば知るほど、わからないことも増え、別のどこかとつながっていく。
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馬場邸のお風呂場についているハンドル。ステキです。今流通しているのとは違う、おもしろいもの、ステキなものがあちこちにあります。素材もデザインも今流通しているものとの違います。古いからいいというわけでもないのですが、何故か魅かれてしまう、ガラクタのようなもの。いったいこういったものが美しく見えるというのはどういうことなのか…。
しかも、それってのは一回価値がなくなって、だからこそ流通しなくなり、存在する個体数が減少する。そして、少ないことが価値を生むという逆説的な不思議。
それにしてもこのハンドル、何かにつけてみましょうか。ハンドルを回すと八十郎の家で何かがおきる…とか。
ともかく、ひたすら掃除と分類の日々です。

こえび隊のみなさんを納屋の屋根裏部屋から記念撮影するのが恒例になりつつあります。おつかれさまでした。
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馬場邸2階の畳をはがしました。
そして午後からは藤さんも登場。どんどん作業が進みました。木材が弱っているところ、頑丈なところ、馬場邸の構造が現れてきました。
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5月31日、豊島に戻ってきました。ちょっといない間にすっかり夏の暑さ。
昨日は唐櫃の浜でボルタンスキーの作品説明会があるというので、ちょっとのぞいてみました。

ボルタンスキー氏や北川フラムさんが登場して、説明してくれました。瀬戸内でボルタンスキー氏がつくる作品は心臓音のアーカイブだそうです。この作品・施設ではアーカイブされた心臓音を聞くこともできるし、自分の心臓音を録音・記録することもできるそうです。そして、すでに約1万5千人の音を録音しているそうです。なるほど…。たしかにすごそう。
心臓の音というのはいいモチーフだと思う。その人その人で固有のリズムをもち、しかも変化する。終わりのない反復を繰り返すようで、いつか必ず終わる音。自分の内側にありながら、環境の影響を受ける。
僕にとっての本質的なドラム奏者ミルフォード・グレイブスの「心臓の音を聴け」という言葉を突然思い出した。まだ20代のころ「心臓の音を聴いてドラムを叩く」という概念は、なんだかとても不思議で魅力的な感じがしたし、普段は忘れているけど今でもそのときの感覚は記憶されているわけだ。まぁ、ボルタンスキーの作品とは関係ない話ですが…。
それにしてもボルタンスキーって、いい感じのおじさんですね。説明会が終わってから、会場の外でうろうろしていたらボルタンスキーさんと「いちご家」の多田さんファミリーが談笑していました。


なんとなくハッピーな感じでしょ。
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