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「セーター、ちくちく」の話がどうにも気になっていたら、なんと藤島八十郎をつくる藤浩志も「セーターはちくちくするから嫌い」と言い、あげくの果てには「僕、セーターなんて1枚ももっていないもん」と自慢しはじめた。
偶然かもしれない。でも藤崎さんと藤さんが、ちくちくするセーターを嫌いなのには何かあるような気がした。
藤さんの場合も、子どもが寒い格好をしていては可哀想と思った親が用意したセーターだったようだ。
藤崎家では羊毛から手づくりなので、これは今考えるととっても貴重なものだ。毛糸をつくる技術だって素人だったようだし、今のように洗練された着やすいセーターではなかったのも想像できる。その1枚のセーターは交換不可能で、盛清さんのためだけのものだった。
このエピソードに僕が惹かれるのは、親が子どもに手渡そうとしたものを、子どもが受け取れなかったということだ。親の価値観を共有できなかった欠落。そんな欠落は誰でもあるはずだと思う。先行世代の価値観を肯定できなかったということを、どう自分なりに引き受けて、新しい価値を創造し生きていくのか。それは芸術の分野が常に考え実践してきたことだ。
藤さんは「ちくちく」するセーターが嫌いで、「つるつる」した服ばかり着ている。でも、それが服ではなかったら「ちくちく」したものが好きだったかもしれない。豊島の石垣も僕には「ちくちく」しているように見える。この石垣がずっと残るのか、そうでないのかは僕にはわからない。
僕はセーターも着るし、つるつるした服も着る。でも、親の価値観を受け取れなかったことはいくらでもある。共有できたかもしれないのに共有できなかった価値観、自分が捨ててしまった何か、そんな欠落を大切な思い出として話す人が僕は好きなんだと思う。
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藤崎盛清さんの父、藤崎盛一さんは豊島で農民福音学校を運営していた。
農業の効率化が進み、単一作物の大量生産が奨励されていた時代に、牛や鶏などの家畜を飼い、様々な作物を育てて、土地の恵みをどのように利用するかを考え、実践していた。
学んでいた人たちの経緯も、ごく普通の高校生が進路として大学進学を選択するよう形とは違っていたようだ。家業が農家の若者が、これから自分たちがどのように生業と生活を改善していけるだろうかと模索するために農民福音学校の門を叩いていたようだ。共同生活をしながら、田畑で働き、講義を受講していたそのスタイルは、現代の視点から見ると、近代化によって分断された労働と学びをもう一度接続する試みといえるだろう。

農民福音学校の活動は興味深いが、ここでは長くは書かない。今回は別の話。
ともかく、そんな学校を運営していた藤崎盛一さんの息子、盛清さんに僕はめちゃくちゃお世話になった。藤崎盛清さんがいなかったら、藤島八十郎をつくる活動は全然別の形になっていたはずだ。
昔の藤崎家の暮らしぶりや農民福音学校のことを訊くのはたのしかった。盛清さんが幼いころ、農民福音学校では牛や鶏の他に羊も飼っていた。羊毛を刈り、脱脂し、毛糸を紡いで、手づくりのセーターをつくっていた。幼い盛清さんにも手づくりのセーターがあてがわれた。ところが、ごわごわしたセーターは着ると肌がちくちくして痛い。幼い盛清さんはセーターを着るのを嫌がり泣き騒ぎ、盛一さんに怒られた。もっとも盛清さん自身にこうしたできごとの記憶はない。それくらい幼いころのことだった。親や姉たちから聞いたそんなことがあったことを教えられたそうだ。それでもこの話には真実味がある。盛清さんは今でもセーターが嫌いで、セーターをもっていないのだ。
この「セーターちくちく」のエピソードは、僕の頭からずっと離れなかった。
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10月31日は瀬戸内国際芸術祭2010の最終日。八十郎の家も105日間の会期を終えることができました。
ツイッターにも書きましたが、最後のお客さんがとてもいい人たちでした。岡山在住で豊島に毎年夏のお祭りを手伝いに来ているそうです。豊島の外に住んでいて、八十郎の家よりも先に豊島を知って、何年も何度も豊島を訪れている豊島が好きな人が八十郎の家を気に入ってたのしんでくれたのは僕にとってもとてもうれしいことでした。
もちろん、それまで訪れてくれたすべてのお客さんに感謝です。混雑時には外でお待たせしてしまうことになったり、いろいろ至らぬ点もあったと思います。申し訳ございません。たくさんのお客さんにご来場いただき八十郎は幸せ者です。
そして、もうひとつ。芸術祭実行委員会の運営(いろいろ文句を言ってごめんなさい)、こえび隊のみなさんのご協力、島のみなさんの応援によって八十郎をつくる活動は成立しました。ありがとうございます。
藤さんはもちろんものすごく動いて豊島に来るたびに突貫工事をしていたけど、僕はほとんどなにもしてません。ごめんなさい。関わってくれたすべてのみなさん、本当にありがとうございました。

僕の力不足で、島の人や島に関心をもつ人と活動をつくるという当初のプロジェクトはほとんど実践できませんでしたが、なんだかわからないけどなにかできそうだという根拠のない手ごたえだけは感じることができました。
不思議なことに、そういう中途半端な状態にもかかわらずたくさんの来場者から賞賛の言葉をいただき、藤さんも僕もおどろいています。八十郎は何者なのか…、つくっている本人たちもますますわからなくなってきました。

会期中に僕の怠惰で報告できなかった「藤島八十郎をつくる」関連での出来事を今後このブログにアップしていきます。
トピックは…
雨漏り/掃除と分類/廃材/キッチンと調味料/テント/庭の草刈り/公堂の床磨き/遊具の錆落としとペンキ塗り/石垣/動物の群れ/子どもを待つライオンの像/豊島タワーと豊島スカイツリー/豊島の水と石/堀田さんの料理/幻の弓木パノラマ館/笹尾農園/ハーブ園/はるはるファーム/八十郎への手紙と手紙ワークショップ/立体農業研究助走/本のワークショップ/架空の人物/豊島タワーのスタンプ/いちご家の看板/壇山/廣田商店/ランプシェード/八十郎の庭/キケンギャラリー/島の子どもたち/豊島賛歌とアロハオエ/牛飼いだった人たち/etc.
こんな感じでしょうか。本当はもっともっと書かないといけないことがあるなぁ。そうそう、八十郎は絵本作家になりたいのでした。ここでのお話も絵本になるかも…。
いまだ何者かわからない八十郎の姿も、会期中の物語を書いていくうちにはっきりしてくるかもしれません。というわけで、結局またもやお待たせしてしまうわけです。ごめんなさい。

ちなみに藤島八十郎の家は11月19日から12月19日までの金・土・日曜日に公開するそうです。先日、会期中の状態からマイナーチェンジしました。宜しくお願いします。
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