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資源ゴミの朝

 8月4日は第1水曜日なので、月に1回資源ゴミの日。
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朝早く、空き缶やビンを収集場所にもって行った。すると、近所のおばちゃん2人が、ゴミの分別をしていた。当番制みたい。都市部では自治体が業者に委託して行っていることも島の人たちは自分たちでやっている。それは必要にせまられてのことかもしれないけど、はっきりいって圧倒的に美しいことだ。僕は掃除が下手なので、よけいにそう思う。ちなみに資源ゴミの収集は行政が行っています。調べたらアルミ缶を小学校で回収しているそうで、地域の老人会がそれに協力しているそうです。たしかにアルミ缶も分別して、業者にもっていけばお金になる。学校の予算が少ない地域では重要な活動資金なのかも。それを地域の老人たちが手を貸しているということのようです。
もちろん、僕が過去に住んでた地域でもゴミ収集場所の清掃はその近所の人が行っていた。しかし、豊島の場合はできることは自分たちでやるという意志と助け合いの意識の両方がしっかり根付いているのだ。
 だいたいは捨てる人が分けて置いてくれているのだけれど、それでもアルミ缶の中にスチール缶が混ざっていたり、缶の中に飲料が残っていたり、瓶の色が間違っていたり、おばちゃんたちはけっこう大変そう。そもそも瀬戸内国際芸術祭という大きなイベントがはじまってゴミがものすごく増えている。結局、僕も微力ながらお手伝いをすることにした。
 空き缶のアルミとスチールの分別を確認していると、やたらにタバコの吸殻が入った空き缶がいっぱいでてきた。おばちゃんたちも「困るなぁ…。こんなことなかったんやけどな」と言っている。タバコを吸う人はいても、吸殻が入った空き缶が資源ゴミにこんなにたくさん出されたことはなかったそうだ。
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おばちゃん2人と僕で、けっこうな苦労をして缶から吸殻を出す。おばちゃんは僕が芸術祭が理由で島にいるのを知っているので、芸術祭のことをあまり悪くは言わない。僕には「手伝ってくれてありがとうね」と言ってくれる。僕は島の人の心に触れてうれしい気持ちと、やたらに仰々しい芸術祭に対しての複雑な気持ちで言葉がでない。
 ゴミが増えて地元の人が苦労する芸術祭は美しくない。実行委員会は資源ゴミを出す日の前日ぐらいこえび隊を島に宿泊させて、ゴミの整理を手伝えばいいのに。
 藤さんの言う「誰と」の関係のことを考える。「誰と」一緒に行うかで、同じこともたのしかったりつまらなかったりする。僕は島の人が好きなので、ゴミ分別もたのしい。ここで一緒に作業した経験は僕にとっての財産。突然、今は青森にいる藤さんや一緒に苦労してくれたこえび隊の仲間のことを考える。彼らだったら島の人と行う掃除をきっとたのしんでくれたと思う。あるいは、東京や桜島で一緒に苦労した仲間たち。僕の失敗を許し、見守ってくれた人たち。彼らなら島のおばちゃんの心が傷つくことを僕と一緒に憂い、ただ黙って掃除に参加するに違いない。
 結局は審美的態度の問題なのかもしれない。ゴミの出し方の酷さを嘆き、それでも休まずに動き続け作業するおばちゃんの心は美しい。そういう人たちに目を向けず、来場者の数を誇っていては芸術祭は美から遠ざかってしまう。
 心美しき人たちと作業した時間は充実している。島の人たちにひたすら感謝です。いつも、本当にありがとうございます。